
豊臣秀吉の幻の城「京都新城」は実在した!京都御苑に眠る”最後の城”はなぜ築城・破却された?
実在した「幻の城」
豊臣秀吉は、生涯を城郭の建設に費やした人でした。その実績は、大坂城(大阪市)、聚楽第(京都市)、名護屋城(佐賀県唐津市)などが知られています。
そんな秀吉の建設した城は、これまでは伏見城(京都市)で最後とされていました。
この常識を覆したのが幻の城「京都新城」の発見です。令和二年(二〇二〇)、京都御苑(御所周囲の公園)の仙洞御所敷地から石垣と堀が出土したのです。
京都新城は秀吉が、その死の前年に当たる慶長二年(一五九七)に築いたもの。当時五歳だった嫡子・秀頼のための城郭・居館・政庁でした。
わずかな資料に「太閤御屋敷」「京の城」などと記されてはいましたが、これまでは知られざる存在だったのです。
破却されたのは江戸時代で、その跡地に仙洞御所が築かれたわけですが、令和の世になるまで新城の跡はまったく見つかっていませんでした。
また工期が約半年という短期間だったため、単なる屋敷とする見方が大勢で、聚楽第のような石垣・堀などを備える城郭とは考えられていなかったのです。