
”種貰い祭”と呼ばれた所以がコレ!神秘の奇祭「県祭り」に隠された禁断の風習とは?【後編】
毎年6月5日に、京都府宇治市で斎行される奇祭「県祭り(あがたまつり)」。[前編]では、その内容を紹介しました。
毎年12万人超が集う神秘の奇祭!京都・宇治「県祭り(あがたまつり)」その驚くべき風習を紐解く【前編】
現在の日本では、年間およそ30万件もの「祭り」が開催されているといわれています。「祭り」とは、基本的に神様や仏様に感謝の気持ちを捧げ、子孫の健やかな成長や地域の豊かな発展を祈願する行事です。…
[後編]では、「県祭り」で今から50年ほど前まで実際に行われていた、子孫繁栄にまつわる驚くべき風習について紹介するとともに、「神仏」や「性」の視点から、日本古来の祭りに込められた深い意味をひも解いていきましょう。
漆黒の闇の中で斎行される「県祭り」
「県祭り」は、深夜に暗闇の中で、“男根”を象ったとされる「梵天(ぼんてん)」が暴れ回る「梵天渡御(ぼんてんとぎょ)」が行われる、まさに奇祭と呼ぶにふさわしい祭りです。
しかし、「県まつり」が奇祭として語り継がれる理由は、それだけではありません。
夜も更けた23時過ぎ、「縣神社」の灯りが完全に落とされます。さらに、周辺の家々の明かりまでもが消え、あたり一帯は不気味なまでの漆黒の闇に包まれます。
そんな中、一人の神人と「梵天」を乗せた神輿が動き出します。神輿は氏子たちによって、猛り狂ったかのように前後左右へと激しく揺さぶられながら、闇の中を進んでいきます。
この「県祭り」は、かつて「種貰い祭(たねもらいまつり)」とも呼ばれていました。ここでいう“種(たね)”とは、ずばり、“子種(こだね)”を意味します。
もともと「祭り」は、深夜の暗闇の中で行われるものでした。昼間に催されるようになったのは、夜目の利かない人間の都合に合わせた結果にすぎません。
闇の中では何も見えません。その不可視の世界で執り行われる祭りは、神仏の力がおよぶ領域であり、同時に、俗世との縁が切れる空間でもあったのです。