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”種貰い祭”と呼ばれた所以がコレ!神秘の奇祭「県祭り」に隠された禁断の風習とは?【後編】

”種貰い祭”と呼ばれた所以がコレ!神秘の奇祭「県祭り」に隠された禁断の風習とは?【後編】:3ページ目

50年ほど前まで続いた驚きの風習

「県祭り」が、かつて「種貰い祭」と呼ばれていたのは、この祭りの場が世俗的な縁が切れる場で、男女の自由な交渉ができる場であったからでした。

この風習は、1970年頃まで続いていたと言われています。

男根を思わせる「梵天」。そして、安産と良縁に霊験あらたかな「縣神社」の祭神・木花開耶姫命(このはなさくやひめ)。その両神があたかも逢瀬を重ねているかのように演じられる「梵天渡御」を背景に、暗闇の中で男女の交わりが行われていたのです。

当時、周辺の家々は無償で開放され、そこには男女が集まり、雑魚寝をしたといわれます。また、祭りの見物に訪れた旅行者が、その場の雰囲気に誘われてそのような行為に加わることもあったようです。

現在では、威勢の良い「梵天渡御」と多数の屋台が祭りの中心となっている「県祭り」ですが、ほんの半世紀前までは、日本古来の祭りに込められた深い意味を内包していたのです。

今年(2025年)の「県まつり」は例年通り、6月5日(木)から6日(金)にかけて行われるとのことです。

過去のタイムテーブルをみると「縣神社」では、17時から夕御饌の儀が行われ、23時から梵天が動き出し、深夜に神移しの秘儀が行われて出御。その後、“ぶん回し”、“差し上げ”などが行われ、25時頃に還幸祭が催されます。

京都には、祇園祭や葵祭など、奥ゆかしく優雅な祭りがたくさんあります。しかし、同じ京都でも「県祭り」は、神秘的でありながら荒々しく人間味にあふれた側面をもつ、まさに「奇祭」と呼ぶにふさわしい祭りです。

今年は、そんな「県まつり」に参加して、日本古来の祭りを体感してみてはいかがでしょうか。

※参考文献
網野善彦著 『日本の歴史を読み直す』 ちくま学芸文庫

 

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