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犯罪捜査も上の指示が必要!?鬼平・長谷川平蔵が務めた「火付盗賊改」は意外と制約が多かった

犯罪捜査も上の指示が必要!?鬼平・長谷川平蔵が務めた「火付盗賊改」は意外と制約が多かった:3ページ目

必須だった「上の指示」

例えば、町家や百姓家で賭博が行われていた場合は、発見次第、賭場への踏み込みができました。

しかし、武家屋敷や寺院などでの博打は、町奉行所や寺社奉行所の管轄のため、辻番所(武家地の警備をする番所)に武家屋敷の主の姓名と役職を確認し、長官の指示を待つことになっていました。

武家屋敷や寺院に犯人とおぼしき怪しい人物がいる場合も安易に踏み入ることはできず、同様の手続きが必要でした。

江戸府外を巡回する場合は勘定奉行に通知する必要があり、勘定奉行から巡回地を管轄する代官に連絡されました。

組織で働いている人なら、こうした「いちいち上の指示を仰がなければならない」やり方の面倒臭さはよくご存じでしょう。ここまでの文章を読んだだけでも、意外と鬼平も大変だったんだなと思うのではないでしょうか。

戒行寺の長谷川平蔵宣以供養之碑(Wikipediaより)

『鬼平犯科帳』では、馬に乗った鬼平や提灯を掲げた捕物衆による大立ち回りが描かれています。

しかし実際の捕物では、関係省庁への事前の調整が必要な場合も多かったようです。

とはいえ、少し見方を変えてみれば、こうしたさまざまな制約がある中で多くの犯罪者を逮捕した長谷川平蔵が稀代の長官だったのは間違いありません。

参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC,Wikipedia
トップ画像:徳川刑事図譜より

 

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