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弥生人は文字を読み書きできたのか?衝撃の「硯(すずり)」出土がもたらす考古学の新たな可能性

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全国の弥生時代~古墳時代前期の遺跡で出土した文字資料を集成しても、今のところ倭人自らが残した「文章」は確認できていません。

おそらく、当時の文字使用は外交を担う一部の識字層に限定されており、倭人一般が日常的に使用していたのではないでしょう。

国内向けの文章が確認されるようになるのは古墳時代中期(5世紀)の刀剣銘からで、本格的な文字文化の普及は木簡が出土し始める7世紀以降とみられます。

古墳時代前期までに確認されるのは、特定の文字を見よう見まねで写したとみられるものです。三雲・井原遺跡では3世紀中頃の甕に、「竟(鏡)」の字体と類似した線刻が確認されています。

これは甕に張った水を鏡に見立てたとみる見解もあり、それが本当なら、これを描いた人は文字の意味を理解していたことになります。

また、各地の遺跡でも「田」「大」といった文字を刻んだ土器がいくつか報告されており、倭人たちは純粋な漢字の読み書きはできなかったかも知れませんが、そこに込められた記号的・呪術的な意味は感じ取っていたのかもしれません。

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参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史 最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社 (2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

 

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