天下人・豊臣秀吉にいたとされる4人の実子は本当なのか?現代まで残る風説を紹介【後編】:2ページ目
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悲実子説の存在
紹介してきた秀吉4人の実子達には、本当の子供ではない可能性が囁かれている。長浜城主時代の長男・石松丸に関しては、寺社に残る記録や建造物から存在は認められているが、実子と養子との間で専門家の意見は分かれている。
長女は、資料が現存していないため不明。2人の生母とされる人物も定まっていない。
鶴松と秀頼にも非実施説が存在する。2人の母親である淀殿(茶々)は、織田信長を裏切り自刃した浅井長政の娘であり、母親である「お市の方」の死因を作ったのは秀吉であった。秀吉と淀殿の間には因縁が存在したのである。
淀殿には豊臣家の家臣「大野治長(おおのはるなが)」との密通疑惑が存在し、江戸時代の資料には次男の秀頼を治長の子とする記述もある。秀頼が秀吉の実子でないとすると、母親を同じくする長男の鶴松の存在も疑わしくなってくる。
真実は闇の中
秀吉の実子に関する研究は現在も続いており、実子の存在を支持する説と支持しない説が共存している。日本史上稀代の天下人・豊臣秀吉の血脈が果たして受け継がれているのか。
未だに誰も知り得ない歴史の謎の一つだ。
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