下級武士でも積極的に抜擢!意外と柔軟だった江戸幕府の身分制度は、明治の教育制度にも影響を与えていた:2ページ目
実力本位のポジション・「旗本」
こうした実力本位のポジションとしては、まず旗本が挙げられます。
幕政の意思決定機関は老中や若年寄が中心でしたが、幕政の立案・実施を担っていたのは、奉行所などで働く旗本たちでした。
こうした実務官僚には専門性や行動力が求められることから、実力が重視される傾向が強かったのです。
中でも江戸町奉行は、現在の警視総監・最高裁判所長官・東京都知事などにあたる役目だったため、並の旗本では務まらない役職でした。
では、江戸町奉行にはどのような旗本が就いたのかというと、多くの場合、目付や勘定奉行を経ることが多かったようです。
目付は他奉行の監視役であり、勘定奉行は財政を担当する勘定所のトップです。どちらも実力が重んじられ、その構成員も優秀な者が求められる傾向がありました。
特に、勘定所は幕府の機関としては珍しく筆算吟味という採用試験を実施しており、身分が低い者にも門戸を開いています。
例えば、川路聖謨は御家人から出世して旗本となり、勘定奉行にまで上り詰めました。また、笠間藩の下級藩士出身だった小野友五郎も、能力を認められて勘定奉行並にまで出世しています。
このように叩き上げで勘定奉行に上り詰める者もおり、立身出世を目指す一般武士にとっての、いわば関門だったと言えるでしょう。