甲冑をまとい薙刀で奮戦!戦国時代、城主不在の城を10日間守り抜いた女傑・市川局を紹介!:3ページ目
比類なしの女傑・市川局
高嶺城を攻略できなかったことと救援部隊の到着で次第に劣勢となった輝弘は、100人に兵数が減りながらも果敢に戦った後に、自刃を選びました。
この戦いは大内輝弘の乱と呼ばれており、大内氏が名実ともに滅亡した戦いとして知られています。
また、天正5年(1577)にこの戦いの功績として市川局は、毛利輝元より「比類なし」と称された後に感状を与えられています。
その後、天正12年(1584)に亡くなった経好の後を追うように、天正13年(1585)の3月6日に亡くなりました。