甲冑をまとい薙刀で奮戦!戦国時代、城主不在の城を10日間守り抜いた女傑・市川局を紹介!:2ページ目
城主不在の中、必死の抵抗で城を守る
永禄12年(1569)、毛利軍と大友軍の間で筑前国(現在の福岡県西部)にある立花山城を巡る戦い・多々良浜の戦いが勃発すると、大友宗麟は客将となっていた大内氏の生き残り・大内輝弘(てるひろ)に2000人の兵を与えます。
大内氏再興の契機と考えた輝弘は、大内氏の旧臣たちを巻き込んで6000人に兵数が増大します。そして、輝弘は手始めに山口に侵攻し、高嶺城の攻略を開始しました。
高嶺城の城主だった経好は多々良浜の戦いに従軍しており、城内には内藤就藤(なりふじ)や粟屋元種の家臣や数百人しかいない兵しか残っておりませんでした。
この状況下で市川局は、鎧と薙刀を着用し、城内の兵を鼓舞。
守りに不向きな構造でありながら、自らで指揮をとりながら奮戦し、救援部隊の吉川元春が向かって来るまでの10日間余りの激戦を耐え抜きました。