これぞ戦国時代!信長、秀吉らの思惑に翻弄された四国の覇者・長宗我部元親の人生【前編】
土佐出身の戦国武将「長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)」と言う人物はご存知でしょうか。
四国統一を成し遂げた実力のある武将でありながら、織田信長や羽柴秀吉に翻弄されてしまい、その活躍が注目される機会が少ない不遇な人物です。
今回は、そんな長宗我部元親の人生について、前編と後編に分けて紹介したいと思います。
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土佐の支配者
1539年、長曾我部国親の嫡子として、土佐(現・高知県)で誕生したのが「長曾我部元親」です。1560年に参戦した初陣・長浜の戦いでは、自ら槍を握って突撃するなど勇猛果敢な活躍ぶりで功績を残し、続く潮江城の戦いでも戦果を獲得しています。
そんな長曾我部元親が得意とした戦術は、「一領具足」とよばれる半農半兵(武装農民)集団を起用した奇襲作戦です。この一領具足は、長曾我部一族の繁栄と衰退を記した「土佐物語」で「命知らずの野戦士」と称されているように、死に物狂いで襲いかかってくる執念深さが強みの集団でした。
この集団を巧みに扱う長曾我部元親は、四国でも指折りの実力者として名声を博し、1574年には土佐の統一に成功しています。
波に乗り快進撃を進めていた長曾我部元親は、自身を利用しようとする魔の手がすぐそこまで迫っていることには気づいていませんでした。
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