これぞ戦国時代!信長、秀吉らの思惑に翻弄された四国の覇者・長宗我部元親の人生【前編】:2ページ目
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織田信長の企みと利用された男
全国統一を目指す織田信長は、西国最強と名高い「毛利水軍」を保有する毛利元就の攻略に手をこまねていました。織田信長側にも三大水軍に数えられる「九頭水軍」がいましたが、毛利元就が支配している中国地方へ侵攻するには日本の沿岸部を遠回りする必要があり、非常に不便だったのです。
そこで目をつけたのが、瀬戸内海を縄張りとする海賊たちの拠点であった四国地方でした。織田信長は毛利元就に対抗する手段として、海賊と四国地方の両方を手に入れようと画策したのです。
そんな計画に、利用されたのが「長曾我部元親」という男でした。
振り回される長曾我部元親
尾張(現・愛知県)で猛威を奮っていた織田信長は、1575年に土佐(現・高知県)を統一した長曾我部元親に四国統一を許可し、その間の不戦条約を持ちかけます。長曾我部元親も、この機を逃すまいと四国統一を急ぎました。
しかし、長曾我部元親が四国統一を目前にした1580年になると、織田信長の対応が急変。急成長する長宗我部勢力に「待った」をかけたのです。
このとき織田信長は、長曾我部元親を利用するだけ利用し、四国をまるごと乗っ取ろうと企んでいたという説もあります。
そのなかには、長曾我部元親と対立関係にあり、強力な水軍を保有する阿波(現・徳島県)の武将・三好氏たちを衰弱させるという狙いもあったようです。
四国統一を目前にして邪魔をされた長曾我部元親は、大激怒。一方の織田信長は、海賊と四国地方の両方を手に入れる準備を着々と進めており、どちらも引き下がることができない状態となっていました。
このあと、長曾我部元親に訪れる驚きと怒涛の展開については、後半で…。
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