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「どうする家康」もう君と同じ星は見えない…第40回放送「天下人家康」振り返り:3ページ目
たぶん今回初登場の武将たち
今回は初登場の武将たちがたくさん。恐らく今後モブキャラと化していくのでしょうが、せっかくなのでそれぞれざっくり紹介します。
蜂須賀家政(武田幸三)⇒紹介なし
永禄元年(1558年)生~寛永15年(1639年)没
秀吉の旧主・蜂須賀小六正勝の嫡男。朝鮮出兵では武功を立て、三成襲撃事件にも参加しています。関ヶ原では家康に味方し、後に淡路一国を賜わりました。
藤堂高虎(網川凛)⇒紹介なし
弘治2年(1556年)生~寛永7年(1630年)没
豪傑として武功を重ねるも、戦国武将らしく主君を転々と渡り歩きます(浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→津田昌澄→豊臣秀長→豊臣秀保→豊臣秀吉→豊臣秀頼→徳川家康→徳川秀忠→徳川家光)。
特に家康との絆は篤く、家康が死ぬ前に「同じあの世へ行きたい」と宗派を日蓮宗から天台宗へ改めたほどでした。
黒田長政(阿部進之介)⇒紹介なし
永禄11年(1568年)生~元和9年(1623年)没
秀吉の名軍師として知られる黒田官兵衛(黒田孝高、如水)の嫡男。朝鮮出兵では加藤清正らと共に武功を重ねたが、正しく評価しない三成に恨みを募らせます。
関ヶ原では徳川家に与した戦功により、筑前国52万石を与えられました。
嶋左近(高橋努)
寡黙にして勇猛果敢、三成に過ぎたる者
嶋左近 しま・さこん
[高橋努 たかはしつとむ]三成がその才覚にほれ込み、三顧の礼をもって召し抱えた武将。三成が佐和山城へ蟄居に追い込まれた際も付き従い、打倒家康の志を共にする。逆境においてこそ、真価を発揮する男。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より
天文9年(1540年)生~慶長5年(1600年)没
三成に 過ぎたるものが 二つあり 島の左近に 佐和山の城
(何か似たような狂歌があったような……「家康に 過ぎたるものが 二つあり 唐の頭に 本多平八、とか)
三成の家臣にしておくにはもったいないと謳われた猛将。紹介文の通り、三度も招いてようやく家臣になってもらったそうです。
関ヶ原の合戦で三成を守って討死したと伝わりますが、その後も落ち延びて伝説を残したとも言われています。
などなど……ひとり一人を見ていくと、実に多彩な武将たちですが、これから残り2ヶ月は年表を追い駆けて辻褄を合わせる展開が予想されます。
今後も名前とキャストが走馬灯に出て来ると思うので、推し武将を見逃さないように気をつけましょう!
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