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真田信幸(吉村界人)・真田信繁(日向亘)だけじゃない!真田昌幸(佐藤浩市)の子供たちを一挙紹介!【どうする家康】:2ページ目
真田昌幸の三男・真田昌親
内匠 母は某氏。
三男孫七郎信親がとき別に家を興し、其男蔵人信弘宗家の養子となるにより家たゆ。その系図は下にみえたり。
※『寛政重脩諸家譜』巻第654真田(滋野氏)
天正11年(1583年)生~寛永8年(1632年)没
母親は不詳、通称は内匠(たくみ)。信濃国内村郷平井村(長野県上田市)に住まい、慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦では長兄・真田信之と共に徳川家康率いる東軍に味方しました。
息子が三人以上いたらしく、三男の真田信親(のぶちか)は元禄7年(1694年)に分家を興し、本家の真田幸道(ゆきみち)より知行2,000石を拝領します。
信親の養子であった真田信弘(のぶひろ。実父は真田信就)が本家の幸道に養子入りしたため、家は絶えてしまったということです。
あんまり本人の説明がありませんでしたね。名前の昌が父親から受け継いだとして、親の字は誰からとったのでしょうか。改めて調査したいと思います。
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