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ド派手にいくぜ!安土・桃山文化が豪華絢爛な理由とその特徴について解説

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庶民文化・芸能文化も発達

また庶民レベルでも安土・桃山文化は大きく影響しており、大都市では裕福な商人たちが台頭したことで、庶民の世俗的な姿を描いた風俗画が描かれるようになります。有名なのは教科書でもよく紹介される洛中洛外図屏風や、職人尽図屏風などです。

さらに芸能分野では、出雲阿国が始祖とされる阿国歌舞伎が生まれました。また三味線が登場したのもこの頃で、その原型は琉球王国から伝わった三線(さんしん)だといわれています。

三味線の登場によって大きく発展したのは、室町時代から営まれてきた浄瑠璃です。歌舞伎や浄瑠璃などの古典芸能には、こうした歴史もあるのです。

現世的・人間的な最先端スタイル

このように見ていくと、安土・桃山文化の主な担い手は、主に武士階級や豪商だったことが分かります。当時の文化は、そうした階級の人々の財力によって発展していったものだったので、豪壮・絢爛かつ、現世的・人間的でとても分かりやすいものが多いのです。

ただ、人間の文化は決して一面的ではなく、豪華絢爛さとは反対に簡素で落ち着きのある侘び茶も好まれ、そのスタイルが確立されたのもこの時代です。代表的な茶人としては千利休今井宗久などが挙げられるでしょう。

彼らが戦国大名とつながりをもったことで、茶道は武士のたしなみとして展開されていきます。

ただ、豊臣秀吉は茶の湯にも豪華絢爛さを取り入れないと気が済まず、黄金の茶室を造ったりしています。良くも悪くも、こうした派手さを好む風潮は当時の最先端の文化だったといえるでしょう。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022

 

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