- No.145【賛否両論】大河ドラマ『どうする家康』を振り返り見えてきた3つの「どうする」まとめ
- No.144「どうする家康」最後はみんなで海老すくい…最終回放送「神の君へ」振り返り
- No.143【最終回予習】本当に色々(1616年)あったね…徳川家康の死から「神の君」となるまで【どうする家康】
鬼柴田・甕割り柴田・知恵柴田…織田信長に仕えた猛将・柴田勝家のあだ名を紹介!【どうする家康】:2ページ目
甕割り柴田(かめわりしばた)
次はこちら。時は元亀元年(1570年)、勝家が長光寺城(滋賀県近江八幡市)を守備していたところを、六角承禎(ろっかく じょうてい。六角義賢)に包囲されてしまいます。
勝家は将兵を叱咤してよく守り抜いていたものの、援軍はなかなか来てくれません。その内に兵粮も水も底を尽きかけていました。
このままでは飢えと渇きで全滅してしまう。覚悟を決めた勝家は、水を蓄えておいた甕をすべて叩き割って全軍に出撃を命じます。
もう後がないと覚悟した将兵らは死に物狂いで敵を撃破し、九死に一生を得たのでした。
そこで勝家は「甕割り柴田」と呼ばれ、長光寺城の山も甕割山と呼ばれるようになったのでした。
知恵柴田(ちえしばた)
時は天正3年(1575年)、越前国で勃発した一向一揆を一年ほどで鎮圧した柴田勝家。再び農民らが武装蜂起しないよう、刀狩りを実行しました。
しかし、いまだ反抗心の消えぬ領民たちは納得しません。そこで勝家は提案します。
「これより九頭竜川に舟橋をかける。その鎖として使うから、鉄として刀を供出してくれ」
九頭竜川は流れが荒く、しばしば人馬が流されていました。それが安全に渡れるようになるなら大歓迎です。
こうして越前の領民は喜んで刀を差し出し、暮らしを安んじた勝家の知恵は長く讃えられたのでした。
終わりに
秀吉とは水と油の荒武者
柴田勝家 しばた・かついえ
[吉原光夫 よしはらみつお]織田家家臣。体は熊のように大きく、声は柱を壊すほどデカい。小心者の家康をいつも怖がらせる。お調子者で機転が利く秀吉と対照的な、めっぽう強い武骨もの。急進的な信長を全身全霊で支える。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより
武勇だけでなく、知恵にもすぐれていたと伝わる柴田勝家。ただしこれらのエピソードは史料的な裏づけに乏しく、後世の創作とも言われています。
それでも「勝家ならやりそうだ」という信ぴょう性があるから今日まで伝わってきたのであり、やはり武徳を兼ね備えた名将だったのでしょう。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」ではそんな勝家の魅力がどう描かれるのか、これからも楽しみですね!
※参考文献:
- 桑田忠親『豊臣秀吉研究』角川書店、1975年10月
- 『週刊新説戦乱の日本史17 賤ヶ岳の戦い 柴田勝家』小学館、2008年5月
バックナンバー
- No.145【賛否両論】大河ドラマ『どうする家康』を振り返り見えてきた3つの「どうする」まとめ
- No.144「どうする家康」最後はみんなで海老すくい…最終回放送「神の君へ」振り返り
- No.143【最終回予習】本当に色々(1616年)あったね…徳川家康の死から「神の君」となるまで【どうする家康】
- No.142「どうする家康」共に乱世の夢を見ようぞ!第47回放送「乱世の亡霊」振り返り
- No.141二代将軍・徳川秀忠には息子が二人、どちらが将軍に相応しいか家康が課した試験とは?