源頼朝(みなもと”の”よりとも)…歴史上の人物の読み方に「の」が入る場合と入らない場合の違いは?:2ページ目
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「の」が消滅したのはいつから?
「の」が消滅したのは明治4年から。
明治政府も当初は、慣例通り「うじ・かばね」を公文書に使用することを求めていました。一例をあげると、維新の立役者の桂小五郎も「大江朝臣孝允木戸」(おおえの・あそん・たかよし・きど)でした。※木戸が名字で一番下につきました。
しかし元々貴族や武家階級ではない出自のものも登用されたため、「うじ・かばね」を持たない者と持つ者の間で混乱をきたします。
そして明治4年10月12日、姓尸不称令(せいしふしょうれい、明治4年太政官布告第534号)が出され、一切の公文書に「姓尸」(姓とカバネ)を表記せず、「苗字實名」のみを使用することが定めらました。
明治3年までの公文書。しかし見事に源氏と藤原氏が多いですね。
「官員録 : 官板 明治3年」(須原屋茂兵衞 著、1870年)
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