虚々実々!若き日の徳川家康が臨んだ「三方ヶ原の戦い」にまつわる逸話の真相は?【後編】:2ページ目
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失禁エピソード、そして「しかみ像」
あとは、三方ヶ原の戦いにまつわるエピソードと言えば有名な失禁と顰(しかみ)像に関するものでしょう。
まず敗走時に恐怖のあまり失禁してしまい、便を「これは味噌だ」と家臣に言い訳をしたという逸話ですが、これも俗説で、証拠となる史料は一切ありません。
また、この戦いを教訓とするために、彼は顔をしかめた自画像を絵師に描かせて、この絵を生涯座右に置いていたと言います。この有名な顰(しかみ)像は現在は徳川家康三方ヶ原戦役画像と名付けられて徳川美術館に蔵されています。
しかしこの絵も、近年、三方ヶ原の戦いとは無関係だという説が提唱されています。
もともと美術史的な観点からすると、描かれたのは三方ヶ原合戦後よりもずっと後の17世紀頃ではないかと言われています。
またその伝承もあやふやで、18世紀末には単純に家康の肖像画と言われていたのに、明治時代には長篠戦役図と呼ばれ、昭和になってから三方ヶ原合戦直後の肖像画だと称されるようになったのです。
そもそも、この絵には、三方ヶ原合戦の直後に描かれたものだという箱書や目録などの添付資料もなく、従来の伝承を根拠づけるものは一切ありません。
このように、今では三方ヶ原の戦いは、証拠がないあやふやなエピソードと作り話に彩られた部分が多いとされています。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
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