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鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺から、五代執権・北条時頼の廟所のある「明月院」へ

鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺から、五代執権・北条時頼の廟所のある「明月院」へ

三代執権・北条泰時の菩提寺のある常楽寺は、大船駅より歩いて15分程の所にありました。

俺たちの泰時の面影が今も残る…鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺「常楽寺」に行ってみた

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鎌倉幕府三代執権・北条泰時の菩提寺の裏「粟船山」に伝わる悲しい伝説

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この寺院は、北条泰時の義母のために創建されたとはいわれていますが、明らかになっている他の執権の墓所が、鎌倉市内の比較的近いところに点在しているのに対し、3代執権である泰時は、駅で言えば1つから2つ離れた場所に葬られていて、不思議に感じました。

「大船」という地名から考えると、この辺りはかつて「大きな船」が入ることができる湾があったと考えることが出来そうです。「では、ここからどのように鎌倉に抜けて行ったのか?」ふと、疑問に思い、地図を見てみると、山や丘などを切り開いて、通路を作った、「大船の切通し」と呼ばれる場所を見つけたので行ってみました。

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常楽寺からは、徒歩で10分ほどですが、まずは「多門院」というお寺と「熊野神社」を目指して進んでいきます。この辺りは、旧道らしい道が残っていて、歩くだけでも楽しいです。

切通しは、熊野神社の横にあるトンネルの脇から入って行きます。多門院と熊野神社の裏山の尾根に連絡しています。「鎌倉七口」と違い、あまり有名な場所ではないせいか、ほとんど人とすれ違うことなく歩いて行けました。

通路を10分ほど歩いていると、大船高校のそばに抜けます。左右に道が分かれていて、右に曲がると切通しが続きますが、今回は左に曲がり「六国見山」(ろっこくけんざん)に向かうことにしました。

上り坂が続き、少し住宅街を上り坂を登ると、「六国見山公園」と書かれた入り口を見つけることができます。整備された公園なので、歩くのに困ることはありませんが、坂になっていて、相当登ります。

かつては、この「六国見山」から「安房」「上総」「下総」「武蔵」「相模」「伊豆」の六つの国を一望できたことからその名が付けられました。ちょっとした広場のようになっているところもあるので、かつてはそこに多くの人が集うことも出来たでしょう。

ここから、北鎌倉方面に下っていきます。

2ページ目 石塔に残る悲しき伝説

 

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