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軍事施設、政治の拠点、権力の象徴…日本の「城」の歴史を紐解く【前編】

軍事施設、政治の拠点、権力の象徴…日本の「城」の歴史を紐解く【前編】

遺跡にみられる古代の城

こうした「城」で日本最古のものは、福岡県の水城だったと言われています。現存はしていませんが、やはり土塁と外堀で構成された巨大な城壁を持っていました。

他にも、こうしたスタイルの城の実例としては、大阪府の観音寺山遺跡や山口県の吹越原遺跡の高地性集落が挙げられます。いずれも丘や山の上に集落を作り、地形を利用することで外敵の侵入を防いでいました。

4~6世紀には、九州地方を中心に神籠石と呼ばれるものが築かれています。これは山城の一部と考えられ、やはり山の上で敵に攻められにくい場所を選んで造られたのでしょう。

一方、同じ目的で平地で作られたのが環濠集落です。有名なのが佐賀県の吉野ケ里遺跡などが有名で、環濠集落には堀や柵など城の特徴が備わっており、こうした集落は2世紀頃に多かったようです。

巨大化、そして政治の場へ

このように、日本の城は最初は外敵から集落を守るためのものでしたが、時代が下ると人口が増えて集落の規模も大きくなり、あわせて城も巨大化していきます。

平安時代初期には海外からの侵略に備える必要もなくなり(古代日本の城は海外からの侵略にも警戒して築かれていました)、百済人の指導による朝鮮式山城と呼ばれるものも造られています。

また蝦夷征伐が進んで大和朝廷の権力が東北地方に及ぶようになると、東北各地域にも城や城柵が多く築造されました。その中には、多賀城秋田城の原型となるものもありました。

しかしこれも、侵略を警戒する必要性が薄れてくると、「城」は次第に政治の場としての施設へとその役割をシフトさせていきます。

以上、【前編】では日本の「城」の始まりや、平安時代までの歴史について説明しました。後編では鎌倉時代以降について説明します。

【後編】の記事はこちら

参考資料

 

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