北条泰時と初に長男誕生!「承久の乱」でも活躍した北条時氏を紹介【鎌倉殿の13人】:2ページ目
承久の乱で初陣を飾る
やがて元服して武蔵太郎(父が武蔵守だったため)と呼ばれるようになり、承久3年(1221年)に勃発した承久の乱で初陣。
5月21日、19歳の時氏青年は父に従って鎌倉を出発しました。この時点で泰時が率いていたのは17騎、合計18騎で京都を目指します。
北条泰時
北条時氏
北条有時(ありとき。義時の四男)
北条実義(さねよし。泰時の六男)
尾藤景綱(びとう かげつな。左近将監)
関実忠(せき さねただ。判官代)
平盛綱(たいらの もりつな。三郎兵衛尉)
南條時員(なんじょう ときかず。七郎)
安東藤内(あんどう とうない。左衛門尉)
伊具太郎(いぐ たろう)
武村次郎(たけむら じろう。兵衛尉)
佐久満家盛(さくま いえもり。太郎)
葛山小次郎(かずらやま こじろう)
勅使河原則直(てしがらわ のりなお。小三郎)
横溝資重(よこみぞ すけしげ。五郎)
安藤左近将監(あんどう さこんしょうげん)
横川中務丞(よこかわ なかつかさのじょう)
内嶋三郎(うちじま さぶろう)
たった18騎で朝廷の大軍に立ち向かっていったのか、すげぇ……とその豪胆に驚かされます。
しかし尾藤左近将監のところに平出弥三郎(ひらいで やさぶろう)、綿貫次郎三郎(わたぬき じろうさぶろう)を従えている旨が注釈されており、名前が出ているのは武将クラスに限られていた(実際には一人ひとりが軍勢を率いていた)可能性も考えられるでしょう。
ともあれ果敢に攻め進んだ時氏は6月14日の宇治川合戦で敵前上陸を強行するなど活躍したのでした。