「鎌倉殿の13人」頼家と御家人たちに早くも溝が…第27回放送「鎌倉殿と十三人」振り返り:3ページ目
どうなる、文覚!?土御門通親の暗殺未遂「三左衛門事件」
頼朝が亡くなって間もない建久10年(1199年)2月、亡き一条高能(演:木戸邑弥)の遺臣が土御門通親(演:関智一)の襲撃を企んだ疑いにより逮捕。
首謀者の後藤基清(ごとう もときよ)・中原政経(なかはら まさつね)・小野義成(おの よしなり)の三人とも左衛門尉(さゑもんのじょう)の官職であったため「三左衛門(さんざゑもん)事件」と呼ばれます。
この謀議にかの迷僧・文覚(演:市川猿之助)が加担しておりました。しかし捕らわれても悪びれないのは、きっと鎌倉殿が(源氏の恩人である)自分を助けてくれると確信していたから。
と思っていたら頼家はこれをアッサリ見捨ててしまい、それを知った時のショックが、実にテンポよく描写されていました。
でもご安心下さい。悪運の強い文覚は佐渡へ流罪となったものの、建仁2年(1202年)に赦されて帰京します。
それでも懲りずに建仁3年(1203年)、今度は後鳥羽上皇に対する謀叛に加担。対馬へ流罪となる道中、九州で亡くなったということです。
大河ドラマではこれでフェイドアウトとなるのでしょうが、文覚はもうちょっとだけ生きるのでした。
山積みの政務、御家人同士のいさかい、女のバトルにうんざり
鎌倉殿となった頼家は、最初こそ学問や蹴鞠に励んでいましたが、いざ溜まりに溜まった政務(特に訴訟問題)を前にうんざりしてしまいます。
「下らぬもめごとが多くて、うんざりします」
しかし当人たちにとっては大事なこと。昔から一所懸命(ひとところに命を懸ける)と言う通り、土地や権利こそが彼らの生命線でした。
だからしっかり耳を傾けるように諭す母・政子(演:小池栄子)は、すでに尼将軍となる貫禄を身に着けつつあるようです。
また侍所別当の座を巡って和田義盛と梶原景時が口論を起こし、寵愛する正室・つつじ(演:北香那。辻殿)の元へ逃げ込んでみれば、側室のせつ(演:山谷花純。若狭局)がやってきて女のバトルを繰り広げる始末。
つつじ「私と鎌倉殿の子は、きっと源氏の血筋を引く鼻筋の通った子になることでしょうね」
せつ「産んでからおっしゃい」
子供を産んだマウント、自分の方が寵愛されているマウント……まだ若い頼家には少しばかり手に余るようです。
「鎌倉殿は経験がない分、何をどうすればいいか分からないんだと思います」
「何をしても頼朝様と比べられますしね」
頼家よりも年下ながら、随分と大人びた頼時のセリフが、頼家の葛藤を解説してくれました。
それにしても義時はもう少し上手く、と言うより言葉すなわち誠意を尽くして頼家を説得できなかったのでしょうか。
「すみません。本当は5人で行きたかったんですが、ウチの父と比企殿が下らない張り合いを始めてしまって……実務的なことは文官がたにお願いして、私と梶原殿であの年寄りたちを何とかしますから」……とか何とか。
決してバカではない頼家ですから、板挟みな義時の事情を察して、もう少し理解・協力してくれそうなものです(ドラマとしてはそれじゃ面白くないから、どんどんすれ違わせるのですが、やはりそう思わずにはいられませんでした)。