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「鎌倉殿の13人」源義高への愛を貫いたまま大姫は…第24回放送「変わらぬ人」予習

「鎌倉殿の13人」源義高への愛を貫いたまま大姫は…第24回放送「変わらぬ人」予習

水泡に帰した入内工作

三度目の正直ならず……ならば今度は後鳥羽天皇(演:尾上松也)へ入内させようと躍起になる頼朝。

しかし陛下の身辺にはすでに九条兼実や土御門通親(演:関智一)が娘を送り込んでおり、ここへ大姫が新規参入するのは容易ではありません。

盟友であった兼実を失脚させてまで通親&丹後局(演:鈴木京香)に取り入った頼朝でしたが、成果が上がらぬまま大姫は建久8年(1197年)7月14日に亡くなってしまいました。享年20歳。

どこまでも義高への愛を貫いて逝った「変わらぬ人」大姫。彼女に対する人々の賞賛ぶりが『吾妻鏡』にも記されています。

……將軍家姫君自夜御不例。是雖爲恒事。今日殊危急。志水殿有事之後。御悲歎之故。追日御憔悴。不堪断金之志。殆沈爲石之思給歟。且貞女之操行。衆人所美談也。

※『吾妻鏡』建久5年(1194年)7月29日条

【意訳】夜になって大姫の病状が悪化。具合が悪いのはいつものことだが、今日は特に重篤だった。かつて義高(志水殿)が殺されてから、悲しみのあまり日に日に憔悴したのである。金属をも断ち切るほどに強く、石のように重い思いに沈む大姫の姿は、まったく貞女の鑑だと誰もが賞賛したのであった。

一方、諦めの悪さに定評?があり、相も「変わらぬ人」頼朝。

「まだ諦めんぞ、まだ乙姫(おとひめ。三幡)がおる!」

しかし建久10年(1199年)1月13日には頼朝自身が病死、三幡も同年(改元して正治元年)6月30日に14歳で亡くなったため、入内工作は水泡に帰したのでした。

終わりに

以上、大姫の後半生を駆け足でたどって来ました。大姫の墓は不明(一説には鎌倉市大船・常楽寺裏山の「姫宮塚」と推定)、鎌倉市亀ヶ谷辻(鎌倉市扇ガ谷)に彼女の菩提を弔う岩船地蔵堂が建立されています。

大河ドラマでは近衛基通との縁談は割愛、一条高能との縁談はどうでしょうか。

これまで定番の名シーンをそのままなぞることはほとんどなく、独自のアレンジや新解釈で視聴者を驚かせてきた三谷幸喜。

オカルトにはまるなど斬新な大姫像がどのように描き切られるのか……範頼の失脚・最期ともども次週放送から目が離せませんね!

※参考文献:

  • 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月
 

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