裏切られて憎さ百倍…都を追われる源義経が詠んだ源頼朝への恨み節【鎌倉殿の13人】:2ページ目
やがて文治5年(1189年)閏4月30日に義経は奥州の衣川で自害。死んだ秀衡の跡を継いだ藤原泰衡(演:山本浩司)が、頼朝の圧力に屈したためです。
いつの誰だか、義経の死を惜しむ人々によってこんな川柳が詠まれたとか。
西海の くろうも水の 泡となり
【意訳1】秀衡と再会して後ろ盾を得た九郎義経も、あっけなく(水泡の如く)死んでしまった。
【意訳2】せっかく西海(平家討伐)で手柄を立てたのに、その苦労も水泡に帰してしまった。
判官の 衣(ころも)年経(とし へ)ず 綻びる
【意訳】判官義経の衣は年を経ていないのに、すぐ綻びてしまった。
二番目の句は前九年の役において源義家(よしいえ。義経の高祖父)と奥州の安倍貞任(あべ さだとう)が衣川で戦った折、貞任を追撃する義家が
衣のたては 綻びにけり
【意訳】衣川の館は陥落したぞ(待て、見苦しく逃げるのか)
と詠んだ下の句に対して、貞任が
年を経し 糸の乱れの 苦しさに
【意訳】年月を経て糸が乱れたのだから、仕方ない(笑わないでくれ、私も年老いてしまったのだ)
と応じた故事に基づくもの。若くして亡くなった義経を惜しむ人々の思いが伝わってきますね。
義家と貞任の連歌: 老いを笑うな若者よ!平安時代、合戦に敗れた安倍貞任が源義家に詠んだ返歌が切なすぎる
終わりに
しかし、因果応報とはよく言ったもの。果たして頼朝の死後、第3代将軍である源実朝(演:柿澤勇人)が暗殺されたことで、頼朝の血統は絶えてしまいます(厳密にはもう少し先ですが)。
思うより 友を失う 源は
身寄りいえども さね共倒れ【意訳】疑念だけで粛清を続けた源氏の家は、頼朝・頼家・実朝の三代の身寄りがいたけど、みんな共倒れになってしまった。
よく見ると「より友(頼朝)」「寄りいえ(源頼家)」「さね共(実朝)」とそれぞれの名前が入っています。
歴史にif(もしも)はありませんが、頼朝と義経が力を合わせていたら、その未来は大きく変わったいたかも知れませんね。
※参考文献:
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月