戦国時代に武田四天王のひとりとして圧倒的な武勇を誇った武将・山県昌景
みなさんは、山県昌景(やまがた まさかげ)という人物を知っていますか?武田家に仕えた人物で、戦国時代に活躍し、「武田四天王」の一人にも数えられる人物です。
今回のこの記事では、そんな山県昌景(やまがた まさかげ)についてご紹介します!
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山県昌景(やまがた まさかげ)とは?
山県昌景は、1529年(1530年という説もあり)に、甲斐(現在の山梨)に生まれました。主君は武田信玄と武田勝頼。『甲陽軍鑑』によると、昌景ははじめは武田信玄の近習として仕えたのち、続いて使番となりました。
信濃侵攻における伊奈攻めが彼の初陣で、神之峰城攻めでは一番乗りの功を上げました。そして、信玄の側近であり、家臣のなかでも若いものたちで構成された「御使番衆12人」にも選ばれます。
1552年には騎馬150持の侍大将に任命されました。そして、彼は武装を赤色で統一した『赤備え』を率いました。
赤備えの軍隊は、井伊直政や真田幸村なども挙げられますが、昌景はその元祖とも言えます(実は、もともとは昌景の兄・飯富虎昌(おぶとらまさ)が率いていた)。
体格は?
そんな最強武将の一人ともいえる山県昌景(やまがた まさかげ)ですが、意外にも体格は小柄だったようです。現在と当時では平均身長が違うこともありますが、彼は身長が130cm~140cmくらい、体重も軽かったようです。
当時の成人男性の平均身長が約160cmと言われていますから、それと比べてもやはり小柄ですね。
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