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江戸の相撲に熱狂する男達
日本の「相撲」の起源は古事記や日本書紀にある神話から始まり、宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説などが挙げられますが、相撲はその年の農作物の収穫を占う祭りの儀式として、毎年行われてきました。これが後に宮廷の行事となり300年続くことなります。
織田信長も相撲を愛好し、近江の安土城などで各地から力士を集めて上覧相撲を催し、勝ち抜いた者を家臣として召し抱えました。
江戸時代、浪人や力自慢の者の中から相撲を職業とする人たちが現れ、全国で相撲が行われるようになり、江戸時代中期には定期的に相撲が興行されるようになったのです。
やがて人気力士は相撲を好む大名家に召し抱えられるようになりました。彼らは、本場所で勝利することによって大名の家名をあげる役割を担うようになったのです。
上掲の絵に見るように、観客席は桟敷席と土間席に分けられ、江戸庶民の大半を占めた中下層の商人および職人は比較的値段の安い土間席の木戸銭を支払い観戦しました。
大相撲の1日の入場数は約10,000人と言われ、桟敷席の定員は1,200人、土間席には桟敷席の人数は約8,000人ほどの人が観戦したという大変な人気でした。
相撲見物,歌舞伎芝居,吉原遊郭は江戸の三大娯楽と言われ、基本的に江戸の大相撲は春・秋の2場所で合計20日間の興行が行われます。
上掲の“江戸両国回向院大相撲之図「桟敷・取組・地取図」”の最上段に描かれているのは右上に“桟敷”と描かれているように、相撲観戦中の桟敷席の様子です。もう狂喜乱舞といった状態です。
力士の取り組みがはじまると観客は相撲に没頭し、手に汗を握って贔屓の力士に声援を送りました。
行司の軍配が上がると場内に“江戸湾がひっくり返るほどの歓声が起こった”とも言われました。そして祝儀代わりに観客はものを土俵めがけて投げ入れました。特に自分の着ている着物を投げ入れる人が多く“着物の花をちらす”とも言われました。
本当に江戸の人々が大相撲観戦をいかに楽しみにし、愛していたことがわかりますね。ちなみにこのような状態なので女性の観戦は危険なので禁止だったようです。
相撲小屋の内側での取り組みとは別に、相撲小屋の外でまだ相撲興行に出ることのできない力士が“稽古を観衆に披露する”ことを「地取」と呼びました。
上掲の“江戸両国回向院大相撲之図「桟敷・取組・地取図」”の最下段に描かれているのは、この「地取」の様子です。
「地取」を見物することに木戸銭はいらなかったため、貴賎を問わず楽しめるものでした。相撲小屋に入場して取り組みを楽しむ経済的余裕がない庶民の中にはこの「地取」を目的に興行の開催場所まで出かけた人もいたのです。
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