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お江戸のタイムスケジュール 日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午前11時から午後1時頃】

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奥女中の代参

 

さて、上掲の浮世絵ですが、絵のコマ絵の中とタイトルに「三縁山増上寺」とあります。「増上寺」といえば“徳川家”の菩提寺であり、徳川家康は“自分が臨終後は増上寺で葬儀を行う”よう遺言を残しています。

ところで、将軍の正室である「御台所」の一般公務として、徳川家や幕府関係者の法事、祈祷を目的とした江戸各所の寺社への参拝が年間を通して多くありました。

御年寄、上﨟御年寄、御中臈といった大奥の上級奥女中達は、これに直接のお供として同行したり、「御台所」の都合が着かない場合は「代参」という形で代理役を委任されることがありました。

 

この絵の女性を見てみると、塵よけとして揚帽子を被っています。赤の中着と「水に槌車」の総柄の表着(打ち掛け)を着ていますが、この柄はもとは水車(の羽根)から発展した“魔を払う”という縁起の良い柄なのです。

この場所にこのような豪華な着物を着て、眉を剃り、お歯黒をしている女性を描いているということは、成人した年配者である大奥の上級女中が「代参」をしている姿を描いたものなのです。

この絵では女性が一人描かれていますが、この女性の付き人や警護のものなどの大人数で代参していましたので、江戸の人々はこの代参に遭遇すると、憧れや好奇心で注目したのでした。

この代参の公務が終わると、その帰りは大奥の女性たちの数少ない江戸城からの外出となるので、芝居を観にいったりと羽を伸ばしていたようです。その行いのなかで起こった大事件があります。それについての詳しい話「江島生島事件」をご興味のある方は是非御覧下さい。

4ページ目 女湯賑わう

 

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