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日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【午前11時から午後1時頃】:2ページ目
商家賑わう
さてお昼どきともなれば人々が町に繰り出します。
上掲の絵は、現在も創業を続けている「大丸松坂屋百貨店」の元となった「下村呉服店(大丸屋)」の店の前を行き交う人々を描いたものです。“下村”というのは店主・下村彦右衛門の苗字からきています。この人物はまずは「義」を重んずるという人徳者でした。
大丸屋は「現銀(金)正札販売」方式で商いをしていました。「現銀(金)正札販売」とは店先で正札を付けて値段を明らかにした商品を陳列し、客も商人の金額に納得した上でその場で現金のやり取りをするという、今では当たり前の売り買いの方法です。
これはもともと「三井越後屋呉服店」が始めた画期的な商法でしたが、下村彦右衛門は良いものを真似するのに恥はないと、その商法を見習いました。
それ以前は普通呉服店では、得意先の注文を聞き後から品物を持参する見世物商いと、直接商品を得意先に持参して売る屋敷売りが一般的で、支払いは、盆・暮の二節季払い、または12月のみの極月払いの掛売りが慣習でした。
江戸の呉服屋はこの「現銀(金)正札販売」方式に転換することで莫大な利益を得て、“江戸名所”と呼ばれるような「呉服大店」が増えていったのです。
しかし実際のところ、このように呉服屋に上がってまっさらな反物を触って色々と選ぶことが出来るのは、やはり豪商や裕福な武家の娘、そして大奥の女性など、いわゆる“お金持ち”の人達にしか出来ないことでした。
多くの子どもは、絵の中に描かれているお茶を出す小僧さんや、子守をしている女の子のように、まだ子供と呼べるような年齢から働いていたのです。
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