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伝説の美しき遊女・地獄太夫。人々に愛された地獄太夫と一休禅師が与えた影響[中編]

伝説の美しき遊女・地獄太夫。人々に愛された地獄太夫と一休禅師が与えた影響[中編]

地獄太夫と野晒悟助

これは幕末の激動の時代である1865年のお正月に、初演された歌舞伎『鶴千歳曽我門松』の演目“野晒悟助”を描いた浮世絵です。この“野晒悟助”は歌舞伎狂言作者の黙阿弥が“市村羽左衛門”のために書き下ろした創作上の人物です。因みに野晒悟助を演じる市村羽左衛門は後の名優と誉れ高い尾上菊之助です。

「野晒悟助」のあらすじを完結に言うと。侠客・野晒悟助は因縁をつけられて困っている二人の娘を助け、その二人に惚れられる。懲らしめた相手の仕返しにあうが、母の命日で手出しができない。命日があけて、最後は野晒悟助が悪者たちをバッタバッタと打ち倒す。という勧善懲悪のスカッとした話で、野晒悟助は強くてモテる色男というヒーローなのですが。。。

なんと“野晒悟助”は、一休禅師の弟子で僧侶同然の身の上であり、しかも地獄太夫の兄なのです。しかも仕事は葬儀屋。そして“地獄太夫”の最期を一休禅師とともに看取った人物として創作されているのです。

そう言われてこの絵をみると、野晒悟助は袈裟を着ているではありませんか!しかも“野晒”とは荒野にうち捨てられた“しゃれこうべ”のこと。そしてその髑髏模様の着物を羽織っています。

何故、黙阿弥はこのような設定を創作したのでしょうか?そういう設定が面白いから。それが客に受けるから。それを人々が求めているから。

この浮世絵が描かれた1865年という時代は、日本では幕府から長州征討が行われた年で、翌年には薩長同盟が結ばれます。このような動乱の時代に人々は“生き死に対する救い”を無意識に感じていたのではないでしょうか。

(後編につづく)

 

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