手洗いしっかりしよう!Japaaan

大河『逆賊の幕臣』失脚、復帰、幕府崩壊…小栗忠順(松坂桃李)と激動の幕末を生きた浅野氏祐の生涯

大河『逆賊の幕臣』失脚、復帰、幕府崩壊…小栗忠順(松坂桃李)と激動の幕末を生きた浅野氏祐の生涯

令和9年(2027年)大河ドラマ「逆賊の幕臣」では、日本の近代化に貢献しながら滅びゆく徳川幕府に殉じた小栗忠順(おぐり ただまさ。小栗上野介)の生涯が描かれます。

今回はそんな小栗忠順と同時代に活躍した浅野氏祐(あさの うじすけ)を紹介。果たして彼はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。

大河ドラマ「逆賊の幕臣」を楽しむご参考にお役立ていただけたら嬉しいです。

「逆賊の幕臣」に関する話題はこちらの記事もオススメです。

小栗忠順から情報リーク!大河『逆賊の幕臣』で松坂桃李演じる旧主と富を築いた三野村利左衛門とは

令和9年(2027年)大河ドラマ「逆賊の幕臣」では、日本の近代化に貢献しながら、逆賊として処刑されてしまった小栗忠順(おぐり ただまさ。小栗上野介)の姿が描かれます。短い生涯を通じて国事に奔走…

大河「逆賊の幕臣」小栗忠順(松坂桃李)の生涯ーー幕末の名臣の名言と生き様【前編】

いつの時代も憂国慨世(※1)の士はいるものですが、そういう人物に対して水を差す者も少なくありません。「しょせん君一人が何をしようがすまいが、結局この世はなるようにしかならないよ」「そん…

若くして出世するが……

浅野氏祐は天保5年(1834年)に浅野氏綏(うじやす)の子として誕生しました。

浅野家は代々旗本を務め、下総国香取郡(千葉県香取市)に知行2,000石を領する家柄です。

やがて元服した氏祐は次郎八(じろはち)や一学(いちがく)などの通称を名乗り、23歳となった安政3年(1856年)に小姓組へ抜擢されました。

小姓組とは徳川将軍家の親衛隊で、書院番・大番・小十人・新番と並ぶ五番方に属します。

いわゆる出世コースの花形で、万延元年(1860年)には使番を経て目付に任じられ、文久元年(1861年)には従五位下・伊賀守(のち美作守)と叙せられました。

従五位下に昇ると朝廷の内裏に昇殿が許され、諸大夫として列せられます。

そこでさっそく氏祐は上洛を命じられました。京都で所司代の酒井忠義(さかい ただあき)と合流し、朝廷に対して開国を説得している長州藩の長井雅楽(ながい うた。長井時庸)を支援したのです。

しかし翌文久2年(1862年)4月になると、尊王攘夷を主張する久坂玄瑞らの工作活動が優勢となりました。

旗色悪しと見た長井雅楽が長州へ帰ってしまったので、氏祐も江戸へ引き上げます。

同年6月に将軍・徳川家茂が上洛した際はその用掛を務め、翌7月には大目付へ昇進、10月には神奈川奉行となりました。

翌文久3年(1863年)5月には外国奉行を兼任しますが、7月に罷免されてしまいます。

どうやら職務上の失態があったようで、隠居の上で蟄居するよう命じられてしまいました。

ここまで順調に出世していた氏祐ですが、あっけなく失脚。失態の内容について、詳しいことはわかっていません。もしかしたら、濡れ衣を着せられてしまったのでしょうか。

2ページ目 横須賀製鉄所の建設に尽力

 

RELATED 関連する記事