最高齢は60歳超も…江戸市中に数千人いた路上娼婦「夜鷹」の哀しく壮絶な生存劇
哀しき商売
江戸時代の夜の遊び場といえば、まず吉原のような公認の遊郭が思い浮かびます。
しかし、その華やかな世界の外側には、道ばたで客を取る私娼、夜鷹も数多く存在していました。
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こうした街娼そのものの歴史は古く、記録上は奈良時代までさかのぼれます。
足利時代には、路上で売色する女性を立君、辻で客を引いて自宅で売色する女性を辻君と呼んでいました。
江戸初期、夜鷹の活動場所として知られるようになったのが四谷鮫ヶ橋と本所吉田町です。
梅毒を持つ女性や、客がつかなくなった年増女郎が多かったことをうかがわせる「ハナ散る里は 吉田 鮫ヶ橋」という言葉も残っているほどです。
ちなみにこの歌の意味ですが、梅毒は悪化すると鼻が腐れ落ちます。それと、いわば花の盛りを過ぎた年増女郎のハナをかけたのでしょう。ひどい歌です。
天保以前の江戸では、まだ夜鷹という呼び名が一般的ではなく、江戸では夜発、上方では惣嫁と呼ばれていました。
上方の風俗の記録によれば、彼女たちは日没ごろになると仕事へ向かったそうです。昔は黒い木綿の衣服と白い手拭いを身につけていましたが、のちには町人の妻と見分けにくい姿になりました。
そして、より哀しさを感じるのがその年齢層で、夜鷹は40歳から50歳代、60歳ほどの年配女性が多かったとされます。
2ページ目 草むら一枚で商売?「やり逃げ」客と戦う夜鷹の生きる工夫

