最高齢は60歳超も…江戸市中に数千人いた路上娼婦「夜鷹」の哀しく壮絶な生存劇:2ページ目
生きるための工夫
夜鷹が商売をした場所は、家の軒下、草むら、河原、材木置場などでした。
草を一枚敷いただけの場所もあり、プライバシーもへったくれもありません。彼女たちはなりふり構わず商売に精を出していたのです。
とはいえ、工夫もありました。竹の杭を立てて目隠しを作ったり、雨具を衝立のように使ったりするやり方もあったとか。空き地に小屋を建て、入口へ草を垂らして内部を見えにくくする方法もありました。
初期の夜鷹は店に属さず、独立した自由業として働いていました。ところが代金を払わずに逃げる「やり逃げ」の客がいたため、客引きと護衛を兼ねる男性を雇うようになります。
これは後世のヒモにつながる存在とも考えられます。
夜鷹になった女性には、女郎、湯女、水茶屋の女から転落した者が多かったとされます。一方で、夫を亡くして収入を失った後家や、貧困から逃れようとした浪人の娘、人妻などもいました。
夜鷹になる事情はさまざまだったのです。
天保の改革以後には、深川周辺で座り夜鷹と呼ばれる女性も現れました。自宅で営業する形でしたが、女郎屋の営業が吉原と四宿、つまり品川、新宿、板橋、千住に限られていたため、座り夜鷹も非公認の私娼として取り締まりを受けています。
3ページ目 実は武士が常連だった?市中に数千人いた夜鷹の驚くべき客層
