【豊臣兄弟!】織田を裏切った代償は大きすぎた… 別所長治(下川恭平)を待っていた惨劇、壮絶な最期
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」皆さんも楽しんでいますか?
第21回放送「風雲!竹田城」では、播磨の大名・別所長治(下川恭平)が初登場していました。二人の叔父・別所賀相(田中美央)と別所重棟(忍成修吾)から補佐を受けながら播磨国を統治していますが、叔父二人の考えは大きく異なるようです。
毛利輝元(濱正悟)につくべきと考える別所賀相と、織田信長(小栗旬)そして羽柴秀吉(池松壮亮)に与すべきと考える別所重棟。とりあえず長治は織田&羽柴に臣従しつつ、挨拶には代理を派遣するという「バランス外交」政策をとっていました。
しかし第22回放送「播磨大誤算」では、別所賀相の助言のもと、ついに織田への服属をやめ挙兵。果たしてこれが吉と出るか凶と出るか……
という訳で、今回は別所長治の生涯をたどってみたいと思います。皆さんが大河ドラマ「豊臣兄弟!」を楽しむご参考になれば幸いです。
※関連記事:
『豊臣兄弟!』さらば半兵衛…なんと江戸時代 中期まで続いた竹中半兵衛(菅田将暉)の子孫たちを一挙紹介
『豊臣兄弟!』ズタズタに引き裂かれたプライド…秀吉(池松壮亮)が犯した失敗と「播磨大誤算」の原因
『豊臣兄弟!』信長を裏切る荒木村重(トータス松本)…逃亡の果てに待っていた700人処刑の悲劇
はじめは協力的だったのに……
まずは別所長治の生涯を、駆け足でたどって全体をつかみましょう。
別所長治は弘治元年(1555年)または永禄元年(1558年)に別所安治(やすはる)の嫡男として誕生しました。
生母は浦上(うらがみ)氏、兄弟には別所友之(ともゆき)や別所治定(はるさだ)がいます。
元亀元年(1570年)に父が亡くなったために家督を継承し、二人の叔父から後見を受けながら播磨の所領を治めました。
別所氏は早くから織田への臣従を決めており、天正3年(1575年)には信長と謁見し、それからもたびたび上洛しています。
やがて天正5年(1577年)に信長が紀州の雑賀衆(さいかしゅう)征伐に乗り出すと、長治はこれに増援を派遣しました。『信長公記』では長治本人の名前があるものの、実際には代理で叔父の重棟を派遣したようです。
※この場面が、大河ドラマ劇中の「バランス外交」演出につながったのでしょうか。
天正5年(1577年)10月に播磨を平定するため秀吉が送り込まれてくると、長治ははじめこれに協力的な態度をとります。



