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驚愕の古代史!卑弥呼はなぜ女王になったのか?邪馬台国誕生の裏にあった異常気象と“倭国大乱”[前編]

驚愕の古代史!卑弥呼はなぜ女王になったのか?邪馬台国誕生の裏にあった異常気象と“倭国大乱”[前編]

邪馬台国の成立やその所在地については、江戸時代から現在に至るまで数多くの説が唱えられているが、決定的な結論には至っていません

しかし、邪馬台国成立以前の日本列島に「倭国大乱」と呼ばれる動乱期があったことは、中国史書の記述からも確かです。

そして、昨今ではその動乱を経て邪馬台国が成立したという説が有力視されています。

本稿では[前編][後編]の2回に分けて、当時の倭と密接な関係にあった大陸の状況も踏まえながら、邪馬台国出現前夜の2世紀後半について考察します。

[前編]では、倭国大乱の背景になった可能性がある自然環境の変動と、それに連動する大陸の動乱について見ていきましょう。

2世紀後半の倭国に起きた大乱

中国の史書『魏志倭人伝』には、2世紀後半の倭国が深刻な混乱に陥っていたと記されています。その混乱とは、史学上「倭国大乱」と呼ばれるものです。

弥生時代の倭国については、『漢書地理志』に「楽浪郡の海の向こうに倭人がいて、百余りの国に分かれている」とあり、さらに『後漢書東夷伝』には、「西暦57年に倭の奴国が洛陽へ朝貢した」ことが記録されています。

ところが、その後およそ70~80年を経るうちに、倭国では国々が互いに争うようになり、長期にわたる混乱状態に陥ったというのです。これは2世紀後半、概ね西暦180~190年頃の出来事と考えられています。

この争乱を収めるため、諸国は一人の女子を共立して女王としました。その人物こそが卑弥呼であり、倭国大乱を経て、邪馬台国が成立したと考えられるのです。

地域勢力の台頭だけで「大乱」は起きるのか

しかし、この倭国大乱の原因については、明確な結論は出ていません。よく言われるのは、大陸や朝鮮半島との交易によって経済的・政治的に優位な立場にあった北部九州勢力に対し、出雲・吉備・タニハ(京都府北部)といった日本海側の勢力が台頭し、それに畿内や尾張などの新興勢力も加わった結果、互いに競い合う列島規模の対立へと発展したとされます。

つまり、それぞれの地域の国の王が大きな力を持つようになり、他の地域への侵略を開始したというのです。その根拠として、吉備の楯築墳丘墓、出雲の大型四隅突出型墳丘墓、タニハの大型長方形墳丘墓といった有力首長墓の出現や、畿内・東海地域で独自に発展した銅鐸文化などが挙げられています。

しかし、こうした勢力争いだけで、倭国全体を揺るがすほどの「大乱」が発生したと考えるには、やや弱い印象も残ります。
そこには、より強い外的要因があった可能性があると思われるのです。

2ページ目 タウポ火山大噴火が引き起こした異常気象

 

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