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徳川家康の三大黒歴史・三方ヶ原の”失禁”は本当か?『改正三河後風土記』によると……【どうする家康】
徳川家康(演:松本潤)の三大黒歴史と言えば諸説あると思いますが、多くの方が「信長の圧力に屈して妻子処刑」と「三方ヶ原での失禁」を挙げるのではないでしょうか。
今回は元亀3年(1572年)12月22日、遠州三方ヶ原(静岡県浜松市)で武田信玄(演:阿部寛)の大軍に惨敗した家康が、命からがら逃げのびたエピソードを紹介。
あまりの恐ろしさで失禁してしまったとのことで、家康が後の戒めとして自分のみっともない姿をあえて描かせた「しかみ像(顰像。徳川家康三方ヶ原戦役画像)」が有名ですね。
果たしてこのエピソードは本当なのでしょうか。
「御馬の鞍壺には……」
家康が三方ヶ原で敗れ、失禁したというエピソードは『徳川実紀(江戸幕府の公式記録)』『三河物語(大久保忠教の著作)』『家忠日記(松平家忠の日記)』などを見ても記されていません。
しかしそのヒントになったと思しき記述が『改正三河後風土記』にありました。
……原書に大久保忠佐神君浜松へ御帰城の時御馬の鞍壺に糞があるべきぞ糞をたれて迯給ひたりと罵りたるよしを記すこの日雄出馬なけれハ迯給ふ事有べきにあらず是皆妄説之故に刪り去りぬ……
※『改正三河後風土記 上』巻十三「遠州一言坂の事」
【意訳】原書(『三河後風土記』)には、大久保忠佐(おおくぼ ただすけ)が、家康が浜松城へ戻ったとき「御馬の鞍壺(くらつぼ。座面)に糞がついているはずだ。漏らしながら逃げて来たんだ」と軽口を叩いたことが記されている。しかし、この日の合戦(一言坂の合戦)では家康が出馬しておらず、逃げ帰るも何もありえない。よってこれらは妄説として改正版では削除した。
大久保忠佐とは大久保忠世(演:小手伸也)の弟で、大久保忠教(ただたか。彦左衛門)の兄に当たります。
武田軍の恐ろしさに失禁してしまった家康の臆病を非難したそうですが、そもそも一言坂の合戦(元亀3・1572年10月13日。三方ヶ原の前哨戦)に家康は出陣していません。
最初から浜松城にいたのだから馬に乗っていたはずもなく、そのような粗相はあり得ない。だからこれらはフェイクニュースだから改正版では刪(けず)り去った……ということです。
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