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徳川家康の三大黒歴史・三方ヶ原の”失禁”は本当か?『改正三河後風土記』によると……【どうする家康】:2ページ目
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ただしこの『改正三河後風土記』は、徳川家にとって不都合なことは何かにつけ妄説であるとして切り捨てているため、本書自体を偽書とする研究も見られます。
もしかしたら、一言坂で前線部隊の惨敗を聞いた家康が浜松城内で失禁し、それを戦闘から戻って来た忠佐が「いま乗馬されたら鞍が汚れるだろうよ」などと笑った(のが改変された)のかも知れません。
大久保一族と言えば、代々忠義を尽くしてきた譜代の家臣。しかしたとえ主君といえども、卑怯未練の振る舞いには真っ向から批判を加える剛直さは、やはり彦左衛門の兄ですね。
家康の失禁まとめ
- 家康が失禁したとされるのは、三方ヶ原ではなく一言坂の合戦。
- 『三河後風土記』によれば大久保忠佐が「鞍が汚れているはずだ」と批判。
- しかし家康は一言坂の合戦に出陣しておらず、馬に乗っていないはず。
- だから妄説(家康は失禁などしていない)と『改正三河後風土記』と断ずるが、そもそも信憑性が怪しい。
以上、家康の失禁についてざっくりまとめました。その真相については今後の究明が俟たれますが、確かに武田の恐ろしさは失禁しても仕方ないかも知れませんね。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、松本潤さんによる失禁シーンが演じられてしまうのか……ファンや視聴者たちが固唾を呑んで見守っているようです。
※参考文献:
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