松下幸之助も絶賛!戦闘・統治・人心掌握まで、なんでもござれの武将・加藤清正の伝説
「清正公さん」の数々の実績
加藤清正(かとう・きよまさ)という人は「秀吉チルドレン」にあたり、熊本城の初代城主としても有名な人で数々の「伝説」を持っています。
彼は永禄5年(1562年)に、尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)で、刀鍛冶の加藤清忠の子として生まれました。
母親が豊臣秀吉の生母・大政所(おおまんどころ)の親戚だった縁で、秀吉の近江長浜城主時代に小姓として仕え、天正4年(1576年)に170石を与えられました。
織田信長が本能寺の変で亡くなると、柴田勝家との賤ヶ岳の戦いで武功を上げて、「賤ヶ岳の七本槍」の一人と呼ばれます。
そして秀吉の九州平定(天正16年、1588年)後には熊本藩の初代藩主となりました。
お腹が空くのは絶対イヤ!熊本城を”食べられるお城”に設計した城主・加藤清正
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築城の知識が豊富だった清正は熊本城を改修し、治水事業にも力を入れ、農地政策で地元の領民から信頼を集めます。熊本では現代でも彼のことを「清正公さん」と親しみを込めて呼んでいます。
戦国時代の義理堅い名将!今も”せいしょこさん”として親しまれる武将・加藤清正の人生と人柄
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文禄元(1592)年からの文禄・慶長の役(いわゆる朝鮮出兵)でも、晋州城を攻略するなどの活躍を見せました。