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300人もの側室を抱えた豊臣秀吉が親バカぶりを発揮した愛娘・豪姫の正体とは?

300人もの側室を抱えた豊臣秀吉が親バカぶりを発揮した愛娘・豪姫の正体とは?

サルのように陽気な性格と持ち前の機転で、天下を支配した戦国武将・豊臣秀吉。築城や城攻めの天才の異名を持つ人物であり、ときには女子供を厭わず虐殺するなど冷酷な一面を持ち合わせていました。

今回は、そんな豊臣秀吉が玉のように可愛がった愛娘・豪姫やその夫との関係について紹介します。

豊臣秀吉の子供

豊臣秀吉は農家出身の戦国大名であり、当時にしては珍しい非男色家の傾向がありました。そして、多くの女性を愛したとして知られる人物です。ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが書き記した「日本史」にも、「300人の側室を抱えていた」と記述されています。

そんな豊臣秀吉でしたが、生涯で3男1女の子供しか授かっておらず、子宝には恵まれませんでした。織田信長が20人以上もの子供を授ったのにたいして、これは極めて少ない数だと言えるでしょう。

豊臣秀吉と豪姫の出会い

あるとき、子供に恵まれないことに悩む豊臣秀吉のもとへ養子縁組の話が舞い込みます。その養子縁組の相手こそが、家臣・前田利家の四女である当時2歳の「豪姫」でした。これが、秀吉と豪姫の出会いです。

豪姫は、子宝に恵まれなかった豊臣秀吉にとって人生初の娘。可愛くないわけがありません。豪姫のことを心から可愛がり、まだ幼い頃から「とびきりの婿を用意してやるからな」と親バカっぷりを発揮していたようです。

豊臣秀吉は、豪姫の夫として戦国時代の貴公子といわれた八郎(宇喜多秀家)を迎えいれています。

2ページ目 宇喜多秀家と愛娘・豪姫の結婚

 

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