松下幸之助も絶賛!戦闘・統治・人心掌握まで、なんでもござれの武将・加藤清正の伝説:3ページ目
松下幸之助も認める人心掌握術
ところでパナソニック創業者の松下幸之助は、著書の中の「ほめる:指導者はほめるべき時にほめることを惜しんではならない」という章で清正の人心掌握術を絶賛しています。
清正には三傑と呼ばれる重臣がいました。その中の一人の飯田覚兵衛は、晩年にこう語ったそうです。
「初陣で軍功を立てた時、朋輩が死でいくのを見て怖気づき、合戦とはなんと恐ろしい、もう武士はやめようと思った。ところが帰陣するとすぐに清正公から、今日の働きは見事であったと感謝され、刀まで賜ったため、やめそびれてしまった。その後も合戦に出るたびに、今度こそやめようと考えるのだが、いつも時を置かずに清正公から感状が与えられ、合戦が恐れしいことに変わりはないが、やめるにやめられず最後までご奉公してしまった。清正公にうまく乗せられてしまった。」
この話を聞いた幸之助は、「頑張った部下を直接すぐにほめて育てる力と、武功をしっかり認めることができる能力は、加藤清正の強さの秘密だ。」と感心しました。
覚兵衛は旧名を飯田角兵衛といい、賤ヶ岳の戦いや朝鮮での第二次晋州城攻防戦で活躍し、豊臣秀吉から「覚」の字を与えられた人です。また築城の知識もあり、熊本城の改修に貢献しました。
清正と飯田覚兵衛は縁が深く、上の言葉からも分かる通り、覚兵衛の運命は清正によって決められたと言ってもいいでしょう。こんなところにも、加藤清正という人の名将ぶりを見ることができます。