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室町時代、応仁の乱で大活躍した悪党「骨皮道賢」が残した6日間の武勇伝

室町時代、応仁の乱で大活躍した悪党「骨皮道賢」が残した6日間の武勇伝:5ページ目

最期は女装!?……今日骨皮と成すぞかはゆき

果たして道賢は「女装」で脱出することにしました。

(※古来より、女性は検分が男性よりは緩めなためか、包囲・監禁下から脱出する手段として、ちょくちょく使われています)

先日、勝元からもらった織物か、あるいは日ごろの略奪でどこぞの女から引っぺがした着物かは知りませんが、それをかぶって板輿(いたごし)に乗り、手下に担がせて山を下りました。

板輿とは人が座る板に担ぎ棒をつけたもの(お神輿の土台に人が乗るイメージ)で、状況から考えて、たぶん戸板か何かと思われます。

設定は……おそらく「悪党どもに拉致されて稲荷山へ連れ去られていた良家の令嬢(自称)が、混乱に乗じて使用人と一緒に逃げてきた」とか何とか言い繕うつもりだったのかも知れません。

しかし、道賢の猿芝居はあっさりバレてしまい、たちまち斬り殺されてしまいました。

道賢の辿った末路は、いったい誰が広めたのか、たちまち京じゅうに知れ渡り、口さがない京雀らは

昨日までいなり廻りし道賢を今日骨皮と成すぞかはゆき
【意訳】昨日までは稲荷山で威(い)を鳴らして=威張り散らして暴れ廻っていた道賢が、今日は骨と皮になって=殺されてしまった。せっかく女装までして可愛かったのに、お気の毒さま。

※「かはゆき」には、現代の「かわゆい」同様「可愛い」という意味と、「気の毒、かわいそう、哀れ」などの意味があります。

と落首(風刺や皮肉を込めた歌)を貼り出したそうですが、こういう仕事の早さは、実に京都人らしいですね。

まとめ・足軽の台頭と戦国時代の幕明け

……とまぁ、こんな具合に歴史的には6日間しか記録の残っていない骨皮道賢の「武勇伝」を紹介してきましたが、彼をはじめとする「悪党」や「足軽」の存在が、我が国における戦争の在り方を大きく変えていくことになります。

それまでの社会秩序が崩壊し、新しい戦国の世が産声を上げた揺籃期にあって、数知れぬ「道賢たち」が戦い、名も知られずに死んでいったのでした。

「人(1)の世(4)虚(67)しき、応仁の乱(1467年)」

かつてそんな語呂合わせで覚えましたが、京都の方にとっては「ついこの前の戦」だそうで、ちょっと洛外に出れば、野原に骸骨(しゃりこうべ)の一つも転がっていそうな雰囲気です。

とうの昔に朽ち果てた「可愛い」道賢はじめ、多くの骨と皮たちが、安らかであるよう願っています。

※参考文献:今谷明『日本の歴史9 日本国王と土民』集英社

 

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