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室町時代、応仁の乱で大活躍した悪党「骨皮道賢」が残した6日間の武勇伝

室町時代、応仁の乱で大活躍した悪党「骨皮道賢」が残した6日間の武勇伝

私事ながら、筆者は子供の頃、あばらが浮き出るほど痩せていたため、よく「骨皮筋右衛門(ほねかわ すじゑもん)」とあだ名されていました。

これは昔から痩せた人を指(ちゃか)す時に使われる慣用句ですが、今回はこの骨皮をリアルに名乗った室町時代の悪党、「応仁の乱」で暴れ回った骨皮道賢(ほねかわ どうけん)の生涯を紹介したいと思います。

……と言っても、骨皮道賢の前半生は元より、生まれた年や場所について、詳しい記録は何も残っていません。

それもその筈、骨皮道賢の生涯について記録が残っているのは、応仁二1468年3月16日から、殺される3月21日まで、たったの6日間のみ。

「それで何が判るのか」って?

いやいや、これが結構、意外と察しはつくものです。

もちろん推測も多分に雑じりますが、それでも戦場に朽ち果てた骸(むくろ)に、一滴なりとも血を通わせ、一片なりとも肉を盛りつけて差し上げるのが、骨皮一族?の祖先に対する供養というもの。

かつて乱世の風雲荒(すさ)ぶ京の都を駆け抜けた、いち悪党の物語。どうかおつき合い頂けましたら幸いです。

氏名と出自について

まず、道賢の名乗りである「骨皮」について、元々皮革業を営んでいた≒被差別民の出身だったという説や、自身の痩せこけた体格から呼ばれていた二つ名であるなど諸説ありますが、少なくとも

「先祖代々の名字を堂々と名乗れるような、まっとうな人生は送って来なかった」

ことは推測できます。

もしも道賢がまっとうに生きて来た人間なら、貧しかろうが庶民だろうが家名を重んじたでしょう。

と言って、真面目に皮革業を営んでいたとしても、何せ動物の死骸を取り扱う職業ですから、殺生によるケガレを嫌う仏教由来の価値観ゆえ、人々からは卑しまれたことでしょう。

2ページ目 名所司代・多賀高忠との出会い

 

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