平安時代の悲劇のヒロイン、源頼朝の長女「大姫」その悲恋と貞操の生涯(下)
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平安時代の悲劇のヒロイン、源頼朝の長女「大姫」その悲恋と貞操の生涯(上)
[caption id="attachment_79238" align="aligncenter" width="660"] 中村不折画・源頼朝公肖像。[/caption]源頼朝について語る…
前回のあらすじ
頼朝公の長女・大姫は、政略によって木曽義仲の嫡男・義高と婚約し、幸せいっぱいの日々を過ごしていました。しかし、その一年後に頼朝公が木曽義仲を討つと「父親の仇討ちを企むかも知れない」と義高の粛清を企みます。
父の企みを知った大姫は、侍女たちと協力して義高を鎌倉から脱出させますが、その努力もむなしく義高は殺されてしまいます。7歳で最愛の許婚を失った大姫は、悲しみのあまり病床に伏せってしまいました。
以来、寝たり起きたりを繰り返す病床生活の中で、大姫は一人の女性と出会います。
似た者同士・静御前(しずかごぜん)との出会い
義高の死から二年が過ぎた文治二1186年5月、大姫は病気平癒の祈願(御邪氣の御氣色の御對治)で、17日から27日まで「おこもり(参籠)」をしました。その満願成就となった5月27日、鎌倉にやって来ていた静御前(しずかごぜん)と出会います。
静御前は当時、謀叛人として追われていた源義経公の愛妾で、逃げた義経公の行方などを尋問するために召喚されており、白拍子(舞手)としても名高い彼女は、大姫を慰労するため芸を披露したと伝わります。大姫はとても喜んだと伝わりますが、愛する者を頼朝公に奪われた同士、意気投合したのかも知れません。
その後も大姫と静御前の交流は続き、同年9月16日に取り調べがすんだ静御前が京都へ帰る際に、政子と一緒に見送り、餞別(重宝)を与えたそうです。
4ヶ月程度の短い期間ではありましたが、傷心の大姫にとって静御前との出会いは、似通う境遇の友を得た思いであったろうと偲ばれます。