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乾燥海苔のルーツは紙にあり。「冷やかし」の語源にもなった浅草紙とは?:2ページ目
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浅草紙が乾海苔の原型に
江戸前の名産品の一つ「浅草海苔」。徳川家康が江戸入りした頃は浅草寺門前で採れたものを売っていましたが、埋め立てなどで浅草で採れなくなってからは、品川・大森界隈で養殖したものを浅草に運ぶようになりました。
当時は生海苔が主流でしたが、大森村の野口六郎左衛門という者が浅草紙を作る手法を真似、乾燥海苔を生み出したと言われています。海苔簀(す)を使い、海藻を紙のように漉いて四角く整え、「板海苔」として売り出したというわけです。
ですので、海苔の寸法は浅草紙が元になっており、江戸時代は八寸×七寸五分(24.2cm×22.7cm)。現在は21cm×19cmと少し小さく、メーカーによって多少のばらつきがあるようです。
現代では大森の海岸線は埋め立てられて、海苔の養殖はなくなってしまいましたが、京急大森海岸駅~大森付近では、まだ海苔の問屋さんがありますし、もちろん浅草界隈にも海苔屋さんがあります。
ちなみに当時養殖されていたアサクサノリという品種は痛みやすく、昭和30年代別頃からスサビという品種にとって変わられてしまったそうです。しかしアサクサノリの方が一般的に香り高く美味だったということで、本物のアサクサノリは高級品に。
現在、一般的に「浅草海苔」と呼ぶ商品には、本物のアサクサノリを使った焼き海苔は少ないそうです。
紙と海苔の意外な関係、いかがでしたか。意外なところにルーツが隠されているものですね。
参考資料:大江戸見聞録、海苔 (ものと人間の文化史)
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