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悲しすぎる…ハリスを世話した幕末の下田芸者「唐人お吉」の波乱万丈な人生:前編

悲しすぎる…ハリスを世話した幕末の下田芸者「唐人お吉」の波乱万丈な人生:前編

同年11月、開港されたばかりの町に大地震と津波が襲来。下田は壊滅状態、きちは家も家族も失い、絶望の淵に追いやられます。そんな時、彼女に光を投げかけたのは幼なじみの少年、鶴松でした。彼は立派な船大工になっており、自腹できちに急ごしらえの家を作り、お金も貸してくれたのです。きちは鶴松に救われ、なんとか生命を繋ぐ事ができました。

しかし不幸は続き、翌安政2年には養母が病死。きちは15歳で天涯孤独になり、ふたたび芸妓になります。深い悲しみを抱えつつも、気丈に働くきち。玉のような美しさと健気さで、下田の役人の宴席には必ず呼ばれる人気芸妓に成長します。そして一方では、幼なじみの鶴松に恩金の借りを完済。2人は互いの想いを打ち明け、恋仲になりました。

安政3年7月、アメリカ駐日総領事・タウンゼント=ハリスが日米修好通商条約を締結すべく、下田に着任。一介の芸妓には関係がないように思えるこの事が、きちの人生を大きく変えました。

翌安政4年、下田で一番の芸妓だったきちは、17歳にしてアメリカ駐日総領事・タウンゼント=ハリスの相手に抜擢されます。ハリスが用意したのは支度金25両、1年の給金120両の大金。顔なじみの下田の役人たちに「国難を救うと思って、身を捧げてくれ」と頼み込まれ、きちは泣く泣く「参ります・・・」と了承しました。

お吉自筆の給金請書 出典:村松春水「実話 唐人お吉」国会図書館蔵

こうしてきちは、恋人鶴松に別れを告げ、ハリスの待つ米国領事館・玉泉寺に向かったのです。下田から少し離れた柿崎村の玉泉寺は、コウモリやネズミの棲む、それはひどい寺でした。当時は流行歌の替え歌が流行っており、お吉が作ったとされる歌がこちら。

「行こか柿崎 帰ろか下田 思い惑うよ間戸が浜」

間戸が浜とは、柿崎領事館と下田のちょうど中間の地名。決して喜んでハリスの元に行った訳ではないお吉は、領事館へ向かう道中に悲しげにこの歌を歌ったのでした。

後編はこちらから

アイキャッチ画像:wikipediaより(着色加工:筆者)、参考文献:村松春水「実話 唐人お吉」国会図書館蔵

 

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