枯れ葉を集めてたき火をし、その中にサツマイモを入れて焼き芋を作る…昔と違ってたき火を大っぴらに出来ない現代であっても、どこかノスタルジーを感じますね。それもそのはず、じっくりと焼き上げたサツマイモは江戸時代から続く伝統的なおやつでもあったのです。今回は、前回に続いて江戸時代で起こったサツマイモ食文化について紹介します。
煮物に麺料理…江戸時代のサツマイモ料理はレパートリー豊富
救荒作物(凶作などに備えて作られる農作物)として沖縄経由で海外から渡来したサツマイモは、甘藷先生・青木昆陽や名の由来となった薩摩国の人々など多くの人の試行錯誤で諸藩に広まりました。
凶作に強いだけでなく収穫が多く、救荒作物ゆえに高価では無いが、味は決して悪くないと来れば調理法を考えるのが人情と言うもので、江戸時代には様々なサツマイモ料理が生まれました。
干し芋や蒸かし芋などシンプルなものだけでなく、芋と長ネギを酒と塩で煮込んだ『なんば煮』、そば粉の代わりにサツマイモと山芋の粉を使った『六兵衛』と言う麺料理、そして当時の人気料理だった天ぷらの技術を応用した揚げ物と様々です。
こうした現代の料理顔負けのレパートリーは『甘藷百珍』『年中番菜録』と言ったレシピ集に掲載され、料理人や家庭の主婦に愛読されましたが、何れの本でもサツマイモが人気の食材として取り上げられているのも、人気の高さを伺わせますね。
4ページ目 サツマイモの名産地・川越は江戸時代でも品質の高さは人気