江戸時代は富札や賭博もあれば町金融もあった。高利貸「烏金」に借りたらさぁ大変!
一攫千金を願う人は江戸時代にも多かったようです。享保末期に幕府が富札の販売を公認したら、あっという間に大人気に。有名だったのは、谷中感応寺・湯島天神・目黒不動の3ヶ所で、江戸の三富と呼ばれていました。寛政2年には、さらに22の社寺で富興行が催され、たいそう賑わっていたようです。
富札の当たりはどうやって決めるの?
まず、売りだされた札と同じ番号が記された木札が、箱の中に入れられます。そして、上の穴から大錐(きり)で突いて当たり札を決めるのを100回繰り返します。最後の100番が大当たり!といっても99番までも賞金付きなので、さぞかし盛り上がっていたことでしょう。
富札のように公認じゃない賭博もあり、道端でも賭場が開かれていました。いろんなところで開かれているので、さすがに幕府も取り締まる余裕もなく、野放し状態に。そして賭け事が増えると、借金せざるを得ない状況になる人も出てきます。知りあいがお金を貸してくれたらひと安心ですが、そうもいかないときは、街の金融業者に頼ることになります。
2ページ目 困ったときは金融業者。そして高利貸といえば「烏金」
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