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江戸時代は富札や賭博もあれば町金融もあった。高利貸「烏金」に借りたらさぁ大変!

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困ったときは金融業者

江戸には、公的な金融機関はありませんでした。武士は札差(ふださし)、町人は座頭(ざとう)などの高利貸しに借りにいきます。ちなみに札差は旗本・御家人に将来の俸給米を担保にして高利でお金を貸すところで、座頭は盲人(座頭)が高利でお金を貸し付けるところです。盲人の生活保護のため彼らに金融業を認めていたけど、返済が滞っている人のところには集団で押しかけて騒ぎ立てるのだそう。

元文元年から天保13年までは15%、それ以降は12%でしたが、あれやこれや言ってはもっとせしめていたようです。質屋の利息は、2割~5割。衣類ならば、8ヶ月以上経つと質物が流されてしまいます。

有名な高利貸といえば烏金

烏金(からすがね)は、翌朝烏が鳴くまでに返さないといけないお金という意味で、一昼夜を期限として高利で金を貸す業者です。借りた日の翌日には返すのが決まりでした。利率は1日に2、3%~1割と、かなりの高金利。そんなに高金利なの?返済できるの?と思いますが、賭場の資金を借りる人もいたようです。賭場でもうかったら、無事に返済できてさらに手元にもお金が残って万々歳ですが、だめだった場合はやはり知り合いを頼っていたんでしょうか。

賭け事は、こういったリスクも付き物ですが、それでも一攫千金を夢見てしまうんでしょうね。

参考文献:大江戸ものしり図鑑

 

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