【豊臣兄弟!】秀吉・秀長の“怒涛の接待”が解いた家康の警戒…後の関ヶ原へと繋がる、家康上洛の皮肉な運命:2ページ目
秀長の屋敷で始まった、秀吉流「おもてなし大作戦」
大坂に入った家康は「宰相殿宿所」、すなわち秀長の大坂屋敷に宿泊しました。そしてその夜、家康をはじめ、疑心暗鬼に包まれた徳川家臣団の度肝を抜くような、豊臣兄弟の「おもてなし大作戦」を受けることになるのです。
この夜のことは、『多聞院日記』に詳しく記されています。秀長は350升という大量の酒を用意し、ヤマトをはじめ方々から芸能者を集め、能や猿楽を演じさせました。
そして『松平家忠日記』には、翌日に大坂城で対面する予定だった秀吉が、その場に突然現れたことが記されています。
それによると、秀吉は家康の手を取って奥の座敷に連れていき、自分の思いのたけを語りました。この秀吉の打ち解けた言動により、双方ともに非常に親しい雰囲気になったとされます。
そして話が一段落すると、秀吉が自ら家康にお酌をしました。これには、徳川家臣団の面々も驚くだけでなく、少なからず感動を覚えたようです。
このエピソードは、秀吉の「人たらし」としての真骨頂ではないでしょうか。関白という人臣最高の地位にありながら、何の前触れもなく突然やってくる。包み隠すことなく自分をさらけ出す。そして、自らお酌をする。これこそ、秀吉流のおもてなしだったのです。
また、江戸時代中期に書かれた『東武談叢(とうぶだんそう)』には、この場面で秀吉が「明日、大坂城中では作法通りに対面してほしい」と頼んだことが記されています。このやり取りは、『豊臣兄弟!』でも描かれていました。

