『豊臣兄弟!』吉岡秀隆演じる千利休にとって茶室こそ戦場…美学が凝縮された「侘び茶」の世界とは:3ページ目
利休が生み出した「究極のわび」の空間
千利休によって完成されたとされる茶室は、一般に茅葺(かやぶき)、黒木の柱、土壁などが風情を醸し出す草庵風で、そうした素材や意匠によって、独自の品格を感じさせます。
室内は、網代(あじろ)や簀子(すのこ)などを取り入れた変化のある天井を設けるなど、限られた空間のなかにもさまざまな工夫が凝らされていました。
四畳半の茶席では、床前の貴人畳が位の高い客の席とされ、主人が点前をする場所は道具畳と呼ばれました。
しかし実は、利休が造ったと伝えられる茶室で現存するものは、京都府大山崎町にある妙喜庵の国宝「待庵」のみです。この茶室は、わずか二畳という極限まで削ぎ落とされた空間によって、利休の「侘び」の美意識を今に伝えるものとして知られています。
利休の没後、その後継者や高弟たちも多くの茶室を造りました。
利休の孫・宗旦(そうたん)は、待庵よりもさらに狭い一畳台目の茶室を設けるなど、利休が追求した「侘び」の精神を後継者らしく、さらに極限まで突き詰めようとしました。
一方、古田織部・小堀遠州・織田有楽斎らの大名茶人たちは、それぞれの美意識を反映させながら、武家の格式を感じさせる書院風の茶室や、三畳前後の比較的ゆとりのある茶室などを造りました。
利休が目指した茶の湯の空間・茶室とは、いわば「市中の山居」でした。
都市のなかにありながら、自然のなかに身を置くような感覚を味わう。自然そのものを再現するのではなく、限られた空間のなかに自然の趣を感じさせる。
そこには、茶聖・利休の美学が細部にまで込められているのです。
また、利休が理想とした茶の湯には、禅の精神とも通じる「茶禅一味」という考え方があります。
利休に招かれた客は茶室のなかに身を置くことで、外の喧騒から離れ、一服の茶と向き合う。そこでは、茶室という限られた空間そのものが、日常とは異なる心持ちを生み出してくれます。
そう考えると、利休が完成させた茶室とは俗世から離れ、一服の茶と向き合い、素直な心持で人と人が向き合うための空間だったのではないでしょうか。
秀吉や秀長が天下をめぐって戦った一方で、千利休は茶室という小さな空間で、敵も味方も区別なく、そして身分の差も越えて人と人の心を結びつけました。
わずか二畳ほどの空間に、利休が込めた「侘び」の美学が、豊臣政権を支える原動力の一つとなったのです。
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