【豊臣兄弟!】山田涼介が演じる他責思考のZ世代武将・秀次の悪評は罠?史実が語る“悲劇の名君”との落差:4ページ目
順調に出世し秀吉の後継者になったのに
その後、天正13年(1585)、秀吉が紀伊雑賀征伐に出陣すると、秀次は叔父・秀長とともに副将を任され、秀長が総大将となった四国征伐では、副将として明石より3万を率いて出陣。
獅子奮迅の働きをします。小牧長久手での汚名を返上し、天正14年(1586)には秀吉から「豊臣姓」を授かります。
そして、順調に出世を重ねますが、天正19年(1591)、秀吉の側室・淀殿が生んだ鶴松が数えの3つで亡くなったことで秀次は秀吉の養子となり、正式な後継者としての道を歩み始めます。
けれども、その先は奈落の底が待ち構えていたのでした。
秀次と秀吉との関係は悪化、文禄4年(15965)謀反の疑いからの関白職の剥奪、高野山への追放、切腹の命令。そして、秀次の家族や家臣30人近くが処刑……。
※関連記事:
無実ゆえの切腹!?妻子ら30余人が公開処刑、謎に包まれた戦国武将・豊臣秀次の切腹の真相
このあまりにも残忍な処刑により、諸大名や民に広く不安が広がってしまい、豊臣政権の崩壊へと導いていったのでした。
暴走する秀吉のストッパーでもあった秀長は、天正19年1月22日に亡くなっています。この秀次事件、ドラマではどこまで描かれるのでしょうか。
ちなみに下の浮世絵は、月岡芳年による、高野山に蟄居させられた豊臣秀次。
おもひきや 雲ゐの秋の そらならて 竹あむ窓の 月を見んとは
(雲もない美しい秋の空だというのに、こんな竹格子の窓から月を見ることになるとは)
関白までなったのに、謀反の罪で追放された秀次の無念さが伝わってくるようです。
「今の秀次研究像」にあった新しい秀次
ドラマの時代考証・柴裕之先生によると、
「山田涼介さん演じる豊臣秀次とは?」
一言でいうと、秀吉から期待され、それに応えようとして頑張った人物。
抱いなる叔父を持ってしまったがゆえに、その叔父たちに期待され、その役割を果たさなければないませんでした……(中略)……秀長に対しての嫉妬や、ひねくれている部分はドラマのオリジナルですが、秀吉たちに対して「真面目な対応を取らねばならならない」と歩んでいる秀次像は、今の秀次研究像にもあっているかと思うので、その辺りにも注目してもらえればなと思います。(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より
とのこと。
実は、秀次についての悪評は、豊臣秀吉の一代記など後世の記録が多く「秀吉が秀次一族に行った残虐な処分を正当化するための創作」と考えられるとか。
逆に一次史料(公家の日記など)からは、政務に励み、教養があり、能や茶の湯を嗜む理性的な人物像が浮んでくるようです。
また、秀次は、近江八幡での統治(八幡堀の開削など)や城下町の統制でも実績があり、有能な統治者とみなされています。
「期待に応えようと真面目に努力した、有能で教養ある後継者だったが、時代と権力の波に翻弄された悲劇の人物」というのが、現在の主流に近い秀次像となっているそうです。
この先、どのような新しい秀次の活躍が見られるのか楽しみですね。
※関連記事:
【豊臣兄弟!】豊臣秀次(山田涼介)粛清の真相は?切腹へ追い込まれた聚楽第改修に潜む“秀吉への反逆”
【豊臣兄弟!】信吉に甘すぎ!見えた秀吉・秀長の違和感…信長三傑・滝川一益の栄光と悲劇——第35回考察
参考:
藤田恒春『豊臣秀次』
矢部健太郎『関白秀次の切腹』



