【豊臣兄弟!】信吉に甘すぎ!見えた秀吉・秀長の違和感…信長三傑・滝川一益の栄光と悲劇——第35回考察:2ページ目
家康の強さは「勝てる戦いしかしない」手堅さにあった
そして徳川家康です。
今回は、覚悟を決めたときの家康の、恐ろしいまでの強さが描かれていました。
ただ、史実の家康が抜群に軍上手(いくさじょうず)であったかというと、必ずしもそうとは言い切れません。
なんと表現してよいのか迷いますが、家康の戦いぶりには秀吉のような派手さがないのです。言い方を変えれば、手堅いのかもしれません。
特に三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗してからは、用意周到に策をめぐらし、勝てる戦いを選ぶようになります。
しかし、この手堅さこそが家康の強さとも言えるのではないでしょうか。
そして家康の家臣には、徳川十六神将をはじめとして、バリバリの武闘派が揃っています。ただ、こうした家臣団も、最初から家康の言うことを聞いていたわけではありません。
1563年(永禄6年)から翌年にかけて起きた三河一向一揆は、「伊賀越え」「三方ヶ原の戦い」と並ぶ家康の三大危機の一つとされています。
このとき、多くの譜代家臣が一向一揆側につき、家臣団は二分されました。
それでも家康は、一揆に加担した家臣の一部を赦免するなど、厳罰だけに頼らない対応を取ります。こうした経験を経ながら、家康は家中の結束を強めていったのです。
このようにして、小牧・長久手の戦いのころになると、強固な徳川家臣団が形づくられていきました。

